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生きていてごめんなさいの感覚

「私なんかが、生きていてごめんなさい。」

 どれだけの人がこの感覚を持って生きているのだろうか?思い出してみると、私はおそらく25歳をすぎたあたりから、この感覚を強く感じるようになった気がする。ここのところ、その理由をずっと考えている。

 思い当たることを列挙してみる。

父親みたいになりたくないコンプレクス

 家族が周囲に迷惑をかける人ばかりだったので、自分はそうはなりたくないと思っていた。父や祖母のようになるくらいなら自害しようと思っていた。

 

同級生、同世代に対するコンプレクス

 大学に入ってから知り合った人達がいい人?(普通の人?)すぎた。みんな私と同い年、同世代なのに、私よりはるかに学力も高く、地頭も良く、常識も有り、優しく、知的だった。

 また、家族とうまくいっている人たちがこんなにも多いのかと思った。私は自分の家がめちゃくちゃだったのでテレビの「家族愛」のような物語は全部うそだと思っていた。みな家庭がうまくいってないから、あのようなきれいな夢物語をみたいのだと思っていた。

 だが、大学に入ると家族を大切に思っている学生たちがけっこういて、かなりカルチャーショックだった。類は共を呼ぶというが、それ以前もそれ以降も私は親とうまくいっていない友達ばかりとつるんだ。

 

常識がないコンプレクス

 これは、少し前に具体的に書いたが、恵まれた家庭で育った子なら知っていること、身についていることが、私は抜け落ちていてる。礼儀、作法、形式、様式についても、「どうしてそうしなければならないのか分からないと、よく分からない。」という特性から、理解しきれておらず、どんなに「常識」を勉強しても咄嗟にはできなかったり、忘れてしまったりする。さすがにそれから数十年たっているので訓練はできてきたが、あの頃は、こんなに常識がないのに生きていてごめんなさいという気分だった。

 

父に対するサバイバーズ・ギルト

 サバイバーズ・ギルトとは、過酷な状況を生き延びてしまった人間が、「生き残ることのできなかった人達を、なぜ、あの時助けてあげられなかったんだろう?」「なぜ、私だけ、生き残ってしまったのだろう?」と自分を責めてしまう罪悪感のことだ。

 私は父を憎んでいた。なぜなら、父は精神病(重度の統合失調症)で、なおかつ女性嫌悪だったので、私に精神的・肉体的虐待を加えたからだ。だが、私は、のちに父と(病名は違うが)同じ精神病(非定型精神病)になって、同じ属性になってしまった。

 その時に、会社の同僚、上司、社長、学生時代からの友達などが複数人で支えてくれたおかげで、今の私がある。あの時の父には誰もいなかった。そのことを考えると苦しくて胸がつまる。私は、なんてことをしてしまったのだろうと。私くらいは味方になってあげるべきではなかったか?と悔やんだ。でも、そんなふうに思えるようになったのは自分が精神を病んだからで、子供だった私にそんなことができたはずもないと自分の中で結論は出ている。

 でも、苦しい。

 

死んでいった友人たちへのサバイバーズ・ギルト

 大学時代の友人が2名ほど自殺した。ふたりとも就職に悩んで、うつ状態からの自殺だったらしい。近くない人達には「発作」のような突然死ということにされた。

 死んだうちの一人は母親の更年期障害からくるウツ病の「もらいウツ」もあったという噂だったが、今よりも「正社員でない。」ということに対する偏見のキツい時代だった。特に男性に対しての「就職していない。」「正社員でない。」ことに対する圧は、ひどいものだったと思う。ちなみに自殺した友人のうち、一人は男性で再就職でつまづいたのがきっかけだった。

 私は就職活動をせず、正社員になることを選ばずに生きてきた。まだ「フリーター」という言葉ができる前からフリーターをやっていた。なぜかというと、就職難で就職活動が苦しいと聞いていたので「就職活動から逃げた」からだ。

 就職活動に真面目に取り組んだ彼らが、なぜ、就職活動をきっかけに死ななければならなかったのか。あんなに優秀な友人が死んで、なんで私みたいな無責任で学のない人間が生き残っているのか、という申し訳無さがある。

 

生きてはいるが社会参加できていない友人達に対するサバイバーズ・ギルト

 私自身は育児放棄でしつけがなっていなかったり、ADHDの気質から型にはまった行動を苦手とする。なのに、私は運がよく、周囲の人達に恵まれ、それらの訓練不足を周囲の人達に補講してもらった。

 だけど、私のように生い立ちに問題があり人格障害ぎみの友人や、発達障害ぎみの友人達は、訓練の機会すらなく、実家に引きこもっていたり、生活保護で暮らしていたりする。

 彼らと私の違いは「運」だけだったように思う。長時間、社会に関われるだけの体力があり、なおかつ根気よく育ててくれた上司、心配してくれる同僚、友達に出会えた。彼らにはそれらの「運」がなかっただけ。

 

 私だけ助かってごめんなさい。という感覚は、きっと一生持ち続けるのだと思う。生きていてごめんなさいという感覚とともに。

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